
JRSJ Vol.17, No.7
Wisdom,
Impression, Sentiment SEIKI,-KURODA/1899
(Tokyo
National Research Institute of Cultural Properties)
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Vol.17,
No.7 「感性とロボティクス」
この特集号の趣旨は,「感性」と「ロボットの研究開発」というキーワードの両者の接点を模索することを主としている.そしてロボットの機能に「感性」という重要な機能を取り込むことによって,最終的に「感性を持つロボット」の存在の可能性について考察する題材を提供しようとすることである.
「感性」という言葉は,広辞苑によると「(1)外界の刺激に応じて感覚・知覚を生ずる感覚器官の感受性.(2)感覚によってよび起こされ,それに支配される体験.従って,感覚に伴う感情や衝動・欲望をも含む.(3)理性によって制御されるべき感覚的欲望.Sensibility(英),Sinnlichkeit(独)」とある.この言葉の定義をそのまま受け入れることとすると,感受性,感情,衝動や欲望といった客観的な取り扱いが困難な機能が直ちに想起され,「感性を持つロボット」の研究開発の困難さが浮き彫りとなる.また英訳としてSensibilityという言葉は,「感性」という日本の言葉と異なるとの意見があり,直接KANSEIというローマ字表記が使われることが多くなってきている.私は,KANSEIなる言葉が通じない場合,英語でFeelingsあるいはFeelings with mindと言っているが,これも正しいとは言えないであろう.
「感性」という言葉に近い,私たちの直接的な感じは,美しい絵画を鑑賞したときや,やさしい気持ちにさせてくれる詩に出会ったとき,あるいは実在感のある彫刻に感動するときに,その「感性」と言う言葉の存在に気付くであろう.また建築物,あるいは都市の景観や自然の美しさに感動することもある.
このような美的感動といった「感性」は,もともと主観的であり,すなわちパーソナルな存在であって科学的記述の困難さは想像を絶するものがある.
しかしながら,歴史的には絵画における黄金分割の美しさは有名であるし,ギリシアのアテネ市にあるパルテノン神殿の美しさが多くの人々の支持を受けていることも事実である.その証拠に,世界中にパルテノン神殿の複製が,それも大学や美術館のファサードに用いられていることがあげられる.外見の完全な複製は,パリのマドレーヌ寺院が有名であるが,完全な複製であるにもかかわらず,その美しさには疑問が呈された.この問題はその後,再度精密な計測が行われ,アテネのパルテノン神殿の持つ重厚さや尊厳さといった感性に関する科学的根拠が検討されたことは有名である.
すなわち,いままで「感性」に関する評価は全く顧みられなかったが,少しずつ科学的に解明されてきている事実を無視することができなくなってきている.
とはいえ,「感性」と「ロボット」との距離はいまだ遠くその将来は見えないとも感じられる.
しかしながら,「人間」と「機械」との関係がいかなるようになろうとも,機械が人間にとって有用であるためには.いままでのように「人間」が「機械」に近づく関係であるよりも,「機械」が「人間」に近づく関係であるべきであることは明白であると考える.「機械」が「人間」に近づくためには機械が人間を理解することが是非とも必要となる.この技術は「マンマシンインターフェース」として研究が進められているが「感性」の研究が,この研究方向に位置するとともにさらに一歩前方に踏み込んでいることは明らかである.たとえば,人間型の病人介護ロボットを考えた場合,病人は単に処理すべき対象物のみにあらず,病人の痛みや気持を感じながら介護できる必要があろう.これは病人の「感性」を理解する必要性に言及しているのである.
本特集号は,「感性」と「ロボット」に関する最新の研究成果を集めている.構成は,最初が「ロボットと感性」に関する総説である.ついで,「ロボットは感性を持ちえるか?」そして,最後は「ロボットが人間の感性に与える影響は?」である.
今世紀は,「人間の知能」を解明する世紀であったと言っても言い過ぎではあるまい.知能の解明はもちろんいまだ未完であるが,多くの謎を解いてきたといえる.次世紀は「感性」や「情感」を解明する世紀であると信じて止まない,なぜなら人間は人間の「知・感・情」を理解せずにはいられないであろうから.
(「特集について」より抜粋)(「特集について」より抜粋) |